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☆宝塚観劇についてのメモ ☆その時、思った事をつらつらと...
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男役が女役やるより勇気がいる選択に思えたのですが…
田中数馬@いずみちゃん 何かを乗り越えたのか? それとも何かを踏み外したのか? そんなの今はどっちでもいいよ。 いずみちゃんがこの先、幸せで素敵な役者人生をおくってくれるなら。 何にしても体当たりでぶつかって前に進もうとする姿勢やガッツは応援したくなったよ。 そしていずみちゃん以上にかっ飛ばしていたのが衣絵(又七の妹)@麻華りんかちゃん。 あれでいいのか? 娘役なのに…体当たりしすぎてて心配してしまうよ。 鳥居弥兵衛@まちお先輩を父に持つ又七@きりやんと衣絵@りんかちゃん。 「母親の顔を見せろ!」と思ったのは私だけ? まちお先輩とどんな顔の母親が交配したら又七とあんなもんが生まれてくるんだよ。 まちお先輩とりんかちゃんが何かするたびに会場が笑いに包まれていました。 第1幕の最後の場面かな? 極楽の政から父親が死んだと聞かされて又七が家に帰ってくる。 白い布を顔に掛けられて眠る、父@まちお先輩。 きりやんが父の遺言状を読み、父の意志を叶えようと決心する場面。 きりやんの演技に目に涙が溜まるのを感じつつも私はずっとまちお先輩が生きてるんじゃないだろうか?と疑っていました。 死んでても胡散臭すぎる父。 出てくるだけで笑いをとる不細工な妹。 そんな鳥居家で育った又七。 「よくあんないい子に育って」と思ったよ。 「大坂侍」で私が一番身近に感じたのは又七ではなく田中数馬@いずみちゃんでした。 自分の人生を思い起こすと「田中数馬の生き方」に辿り着く。 極楽の政の生き方に憧れつつ、田中数馬の生き方で世を渡る。 ということは私もけったいさんなの?(笑) 好きな娘、衣絵と結婚する為に侍の権利をお金で買って、侍に厳しい時代だと察知するとすぐさま商人に戻る。 そんな男、田中数馬。 でも、数馬は別に侍になりたかったわけではない。 衣絵と結婚したかっただけ。 衣絵と一緒に幸せになりたかっただけ。 その為に家業を捨てて侍になる。 でも、時代の風が侍に厳しくなると商人に戻って一生懸命働く。 私にはそんな田中数馬の生き方が当たり前に思えた。 数馬を知っている周りの人々は「田中数馬に300両は高い」と言うけれど鳥居家の人々(又七と衣絵)からすれば当たり前。 衣絵は数馬にぞっこんだから分かるが又七は何故あんなコロコロ考え方を変える男を大切な妹の婚約者として認めて大切にしているのか? 又七は自分の考え方は時代錯誤だと言う事に気がついているから。 自分の生き方では好きな女を幸せにはできない。 本当に好きな女を幸せに出来る生き方は数馬の生き方だと言う事に気がついている。 だから数馬は妹思いの又七にとって大切な存在。 それでも曲げられないものを持って生きている男が鳥居又七。 「大坂侍」という物語は普通の人である又七@きりやんを中心にしてけったいな人々が周りで取り囲む話しです。 でも、本当は逆なのではないでしょうか? いや...又七が「けったいさん」なわけではなくて又七は人間が誰しも持っている欲求にたいする引け目や「その気持ちをストレートに表現するのは恥ずかしい」と思う気持ちを過大な名目をつけて表現しているだけ。 現代人は誰しも「けったい」な部分を持って生きていると思う。 「大坂侍」はそんな誰しも持っている「けったい」な部分を実感させてくれる作品。 「大坂」というのは「デフォルメ」である。人間の本能を正直に表現する為に分かりやすい人種として「大坂人」を使っているだけ。 「お金」や「恋」は大切なもの。そんなの当たり前。 その気持ちをストレートに表現する大坂人たち。 だからいくら「けったいな人達」と思って観ていても憎めない。 又七の気持ちで物語を追っていても、観客は必ず「けったいな人達」の中にどこか自分の「けったい」な部分を感じるから絶対に憎む事が出来ない。 そのけったいな部分は「お金」や「恋」であり、当たり前として大切にするべきものだから。 とても幸せな気持ちにしてくれる物語「大坂侍」。 でも、ミラボールが回る中で数馬と衣絵が幕前でデュエットを歌うシーンは一瞬宝塚である事を忘れそうになったけどね(笑) * コメント *
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