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☆宝塚観劇についてのメモ ☆その時、思った事をつらつらと...
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ちゃびん的、さくらの楽しみ方
竹灯籠 ARAN氏がセリ下がりセリ上がるシーン さっき、この場面の異質さを書こうとしていたのですが、途中で変なボタンを押してしまったのかエラーで消えてしまった。 これは書くなという呪いなのか? じゃあ、書かないよ。 私は所詮...臆病者なので(苦笑) 楽しみ方なのだから楽しんでいる場所だけ書こう。 ここで楽しんでいるのは侍従。 先日まで「誰なんだろう?」と思いつつも、「しゅん君かな?」ぐらいに思ってた。 しかし、改めてパンフレットを確認したら....!!!!!!!!! 蓮太かよ(汗) あの あ...口が、というか手が滑った(笑) やっぱ、この異質さは100枚でも200枚でもいいからオブラートに包んででも書いとくとしよう。 この公演、私は、なんだかんだ言っていますが7〜8回は通っています。 だからこの場面も7〜8回見てる。 最初は初めて生で観る組だったのでまず雰囲気を掴もうと全体を見ていました。 回を重ね、おまけに新公までみてしまった今回の星組。 星組って濃い組ですよね? 自然体なのに表情豊かと言うか...1人1人の個性が強い感じ。 花組もある意味濃かったけど全然違う濃さ。 私にとってこの場面の救いは侍従だった。 侍従@蓮太。 この配役を確認してよかった。 まぁ、侍従@しゅん君でもよかったんだけど... しゅん君より下級生とか...思うとポイントがさらに上がったよ。 『平家の落ち武者と白拍子の恋の物語』 パンフレットにはそう書いてある。 でも、私の目にはARAN氏が白拍子から逃げ惑っているようにしか見えない。 それって... ここから先は例え話を書こうと思うのですが... 私自身、オブラートに包みきれなくなる恐れが多分にあるため一応伏せます。 読みたい方だけ「つづき」をどうぞ。 都会で暮すごく普通の男、オチムシャオ(30才←年齢は適当)。
普段は会社員としてバリバリ働く彼だが久々に休みをとって弟@侍従(23才←年齢は適当)と一緒に都会の喧騒から離れたいと北海道まで旅行に出かける。 無事、北海道に到着、レンタカーを借りた兄弟はのんびり車を走らせる。 そしてたまたま牧場の側を通りかかり立ち寄る事にした。 柵の向こう側は見渡す限り牧草に覆われた大自然。 空気もいいし弟と2人、のどかなその風景を眺める。 そこに1匹の牛が見えた。 緑豊かな大自然の中に佇む、1匹の牛。 彼は呟く。 「のどかだ」 そんな旅行も終わり彼は彼の住む場所に帰って行く。 大都会へ。 旅行から帰り、いつもの生活にもどる。 彼は次の休み、弟@従者と一緒に買い物に出かけることにした。 人ごみの中、弟と待ち合わせ。 そんな彼の目に1台のトラックが目にとまった。 そのトラックはこんな大都会には相応しくないものを積んでいた。 牛 彼は唖然とする。 1台のトラックの荷台に数頭の牛が積まれていた。 そして彼は気がつく…あの時の牛だと。 北海道の大自然の中、時間を忘れて眺めていた牛。 彼と牛が初めて遭遇したとき考えもしなかった。 あの牛の一生など… 当然だ。 オチムシャオは人間だから。 風景の一部としてそこに居た牛の一生なんて。 しかし、再び出会ってしまった。 それも、最悪なシュチュエーション。 彼はよせばいいのにトラックの荷台に積まれた牛がこの後どうなるか想像してしまう。 そこに待ち合わせ時間にちょっと遅れて弟@従者がやってくる。 弟も彼の目線の先のものに気がつく。 牛 トラックの荷台に積まれた牛は狭い空間に押し込められている。 表情は「無」のままだ。 そう「無の境地」なのだ。 一緒に積まれている他の牛達も同じ顔をしている。 そこに存在するものは「無」だ。 弟は牛の一生を想像して気がめいっている兄を連れてその場を離れた。 「牛」って誰だろう... 私の目にはいつもこの場面は「悲恋」ではなく「悲劇」に見える。 それも人間と牛って... まぁ、牛じゃなくてもいいと思うけど。 私の中で一番マッチしたのが牛。 私は先に星組は濃い組だと書いたけどちょっと違うのかもしれない。 熱浸透率が早い組なの? いや...そんなことない。 全然、物語を持ってがんばってるよ。>他の牛達 でも、人間の視野って恐いです。 1階SS席とかで見たらまだ周りの牛達は「私は生きたい」と叫んでいるのかもしれないが2階席じゃ判別不可...というか中心となっている牛のインパクトに全て持って行かれてる。 この牛さんと一緒に積まれている他の牛さんたち...本当は人間だったのになぁ... いや...牛は牛でももっとトラックに積まれても暴れるような牛だったかもしれない。 とちょっと悲しくなってくる。 オチムシャオが北海道でたまたま遭遇した牛が温度0度(無)だった。 もしかしたらその牛は牛の世界でリーダー格だったのかもしれない。 だから一緒に積まれた牛達も流され「無の境地」になってしまった。 オチムシャオが北海道でたまたま遭遇した牛がもしあすかちゃんだったら。 救われないまでも...牛と一緒に何らかの形で悲しみを分かち合えたのかもしれない。 この場面でオチムシャオは牛の気持ちにもなれず、ただ牛の一生を想像して気持ちが悪くなっているだけに見える。 オチムシャオは悲しみや切なさを表現しているようにも見えるが気持ちが悪くなっているだけ。 そんな兄を介抱する弟@侍従って、ある意味救いの神だよ。 補足としては... 温度0度の牛は牧場にいた時はある意味、生きていた。 風景の一部としてオチムシャオだって思わず「のどかだ」と心洗われるほどに素敵だったんだと思う。 だから1つの風景として見れる「朱に染まる桜」の場面は単純に「綺麗だね」と見ていられる。 あの場面は「牧場」だから。 牛は物語をもっちゃいかんのだと思うよ。 ある意味、私的には「節句人形」よりもシュールな場面です。 この場面だけで書くの疲れた。 本当は前後編でまとめるはずだったのに... というわけで後編につづく * コメント *
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